世界の中心はここ、

先日ひょんなことからゲスト取ってもらい、あるフードイベントに行きました。
フード界の尖った人たちが集まるという発酵醸造の祭典。
『fermentation future forum』
http://fermentationfutureforum.org/

博報堂が打っているこのイベントは、なんと入場料が7,500円(!)
トロントにいた方はトロントの無料のフードイベントを思い出してほしい。
対談やお店が出てたり、試飲試食ができたり。
そんな感じのイベントだったんだけど、コンテンツやゲストがぶっ飛びすぎてて、更には入場料の高さに私には理解し難いものでした。笑

滞在時間は短かったけど、途中から聞いた『ミレニアルズの食文化論』の対談聞いて少し考えることがあった。
オーガニックフードを食べることはいいことなのか?
オーガニックフード以外はゴミなのか?
そこにフードウェイストはなのか?

オーガニックではないけど、思い当たる節があった。
盛り付けとして少し乗っているお肉は弾いてしまう私には必ず "フードウェイスト" がつきまとう。

そして新しいスタイルだったのが、"フレキシタリアン" というあり方。

「ヴィーガンの人ととかからしたら、なんなの?邪道!って言われてと思うんですけど。笑」
文字通りフレキシブルなハビット持つタイプの人たちのこと。
普段は肉は食べないけど、友人宅で肉料理が出た、ランチのメニューに肉しかない等々、そんな時は食べるという、枠にはまらない選択肢を持つ人たちのこと。

そんな話を聞きながら、連れてきてくれた人が教えてくれたのが "サスタイナブルフード" について。
sustainable food 、持続可能な食材、安定して提供ができる食材。
日本のフードリテラシーは低いらしく、さらにシーフードの sustainability というのは極めて低いそう。

日本人はマグロを食べ過ぎて、獲れなくなっているという話は聞いたことないあるかと思う。
それは他のシーフードにも言えることらしく、2020年のオリンピック開催時観光客が押し寄せた時、もっと後の時代にはもう日本のシーフードは十分に獲れなくなってしまうのではないか、という危険性があるんだって。

それを知らず、私はペスカタリアン(Pescetarian:お肉は食べないけど、乳製品や魚介類は食べる人のこと)でいたのだ(!)

物事はいつだって多角的。

そして、オルタナティブ(Alternative)な考えを持つことが大事なんだなと。
この言葉は最近よく聞く。
上司が言うし、対談の人が言ってたし、友人も言う。
最初意味がわからなかったけど、英単語で見たらピンとくるね。


***


という、長い前置きでした。笑

前、世界の中心で何を叫ぶ、という記事を書きました。

私はこの時、世界の中心はいつだって自分なんだと思った。
悲しくも嬉しくも、自分は自分以外の何者にもなれないんだって、そう思った時、世界の中心は自分がいるここでしかないと、そう考えてた。

この前、そんな話を偶然友人がしてくれた。

その人のバックグラウンドは色々な意味で特殊で、日本でも海外でも私が出会ったことがないタイプでした。
(一言でいうとハイパーハイスペック坊ちゃん。)

彼は当時バックパッカーをしながらひたすら自分探しをしていたそう。
ひたすら哲学書を読み、友人を作るわけでもなく、淡々とそして考え考え旅を続けた。

当時、日本では『世界の中心で愛を叫ぶ』という本が爆発的にヒットし、映画化もされた。

そこで「一体、世界の中心はどこなのか」、とその人も考えたと言う。
(私が考えたのはこの作品が出た頃ではなくもっともっと後のことだけど。)
旅を続けて、ある時アフリカで出た答えは、"世界の中心はここ"、ということ。
自分がいる場所。

何かを環境のせいにしちゃいけないよ。
環境は自分で変えられるもの。
でもね確かに、変えられない人もいる。
自分は実際、後者だから、そこは腹を括ってる。
変えられる範囲で最善を尽くしてる。

あぁ、だからこの人はブレないのか。

色々な線引きが、見えないはずの様々な線が色濃く、全てコントロール下にあるかのように私には見えた。
なんかキレイに描写してるけど、相当サイコパスでひどい部分もある人なんだけど。。笑

そしてスーパーポジティブで自信家ところは、あの人にちょっと似ていた。
チャンスがあるといいね、と言った私に、
「チャンスは掴むものだよ。」って返した人。

環境の話、最後にこう言ったのだ。

環境が変えられるなら、変えちゃいなよ。
無理にここにいる必要はないよ。

私は、曖昧に微笑むしかなかったよね。
どこにいたって世界の中心はここになるんだもの。

雨の神保町を抜ける車の中で、ちょっと泣きたくなった。

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